自分のブログから、Claudeに仕事相手を当てられた
Claudeで執筆しました
自分のブログは英語と日本語の二本立てで出しています。 1本書いたら、正典(自前ブログ)を単一ソースにして、配信先を全部いっぺんに出す。英語版と日本語版は、基本的に同じことを言っている「対訳」のはずだった。
その日も、いつもと同じように、少し前に下書きにしていた記事を両方まとめて出そうとしていました。
公開の前に、いつもの機械ゲートを通した。固有名詞・個人情報・認証情報を拾うsanitize-lintです。
結果は 緑。ヒット0件。 「よし、出せる」と思った、まさにその瞬間。公開キーへ伸ばしかけた手が止まりました。
「サニタイズは一度、敵対的レビューを噛ませて」
そう言われて、正直、一瞬めんどくさいと思いました。 だってlintは緑なんだから。固有名詞も鍵も何も引っかかっていない。
lintが緑だと、人はこんなにも簡単に「終わったこと」にしたがるらしい(少なくとも、その日の自分はそうでした)
それでも、公開は取り消せない。腹をくくって、専用のレビューアを別に立てました。 やらせたのは、「身元を割りに来る意地の悪い読者」になりきって、この記事を殴ること。 指示はひとつ。「この文章から、筆者や関係者を特定できる手がかりを、とにかく挙げろ」。承認するな、粗を探せ、と。
対訳の、片方だけが漏れていた
返ってきた指摘のなかで、一番ぞっとしたのがこれでした。
英語版のある一文と、それに対応する日本語版の一文。同じ段落の、同じことを言っているはずの対訳です。 そこで使われていた語が、英語は中立なのに、日本語だけが一段「仕事寄り」だった。
英語のほうは、ただ「別のプロジェクト」と書いてある。何も匂わない。 日本語のほうは、同じものを指しているのに、うっすら仕事の匂いがする語になっていた。
書いた本人には、その差が見えていませんでした。 書いた本人というのは、自分です。
英語版と日本語版は、書いた日が違います。書いたときの温度も違う。同じ内容を書いたつもりで、片方にだけ仕事の匂いが残る。
そしてもう一段。 記事の舞台設定そのものが、業種も座組みも名指ししないまま、要素の置き方だけで、誰とどう組んでいるかを語っていました。 固有名は、どこにも無い。ドメインも、社名も、地域も出していない。 なのに、その舞台に置かれたものを足し合わせると、筆者がどういう相手と、どういう約束で仕事をしているかが読めてしまう。
固有名詞を一つも書かなくても、誰とどう仕事をしているかは、文脈から滲む。
じゃあ、あの緑は何を見て緑だったのか
腑に落ちたのはここでした。
sanitize-lintが緑なのは、嘘じゃない。
でもそれは「禁止語リスト(denylist)に載っている固有名詞と、鍵っぽい文字列が、見つからなかった」という意味でしかない。
「この文章を読んだ人が、あなたの仕事相手を推測できるか」は、一度も判定していない。
あなたの記事のlintも、たぶん今日も緑ですよね。その緑、「安全です」とは一度も言っていないです。
ニュアンス、温度、行間から立つ仕事の匂い。このへんは、文字列一致では原理的に捕まらない。 特に厄介なのが対訳でした。英語版は、意識して中立に書く。で、日本語版は別の日に別の温度で書いている。片方にだけ匂いが残る。 翻訳は「同じことを言っている」という前提が、実は崩れている。訳す過程で、片方に情報が足されたり、語感が寄ったりする。
舞台ごと畳んでみたら、記事の芯は一ミリも減らなかった
やったことは3つです。
- 英語版と日本語版の両方を、業種も座組みも出ない粒度まで抽象化した。
- 日本語だけが仕事寄りだった語を、英語に合わせて中立な言い方へ揃えた。
- そのうえで、機械lintをもう一度かけて、目で読んで、対訳を左右に並べて見比べた。そこまでやってから公開しました。
一般化しても、記事の芯は一ミリも削れなかった。 むしろ、余計な固有性が落ちて、話が普遍的になりました。
機械の緑は、ゴールじゃなくてスタート地点だった
- サニタイズの機械ゲートは「固有名詞の不在」しか保証しない。 「文脈から身元が割れるか」は別問題で、そこは意味を読む敵対的レビューでしか捕まらない。lint緑を「安全」と読み替えない。
- バイリンガル公開のサニタイズは、言語ごとに非対称に漏れる。 対訳は同じ内容だと信じたいですよね。でも、片方だけが名札を付けたまま出ていくことがある。左右を並べて差分を読むのを公開前の定型にする。
- 固有名を消しても文脈は残る。 舞台設定だけで、誰と組んでいるかは見えてしまう。学びが伝わる最小粒度まで、舞台ごと抽象化して大丈夫。そこまでやっていいです。
- そして一番効いたのは、「承認するレビューア」ではなく「割りに来るレビューア」を、自分の原稿に向けたこと。優等生レビューは「よく書けています」で終わる。対訳の片方が名札を付けたままだ、とは絶対に言ってくれない。
「よし、出せる」と思ったあの瞬間、公開キーへ伸ばしかけた手が止まった。 止まらなかったら、何ひとつ見つかっていませんでした。 本当によかったと思ってます。